2、初期は父が迎えに来て、空港のトイレで制服に着替えて学校行ってた。TVに出はじめてるから級友と距離は広がってぽつんとなってた。
2、警戒心まったくなくて。空港で「写真撮らせてください」なんて言われても、「はーい」とか笑って、それが普通に原宿とかに行ったら売られてる(笑)。
4、オーデ落ちたときほかの事務所から、「お仕事やってみないですか?」って電話もあったけど、お断りした。
6、『愛の種』ジャケットは私服。『ASAYAN』ってね、ぜんぶ私服だったの。毎週毎週。
8、上京してしばらくは、普通のビジネスホテル住まい、けっこう狭かった。冷蔵庫なかった。
9、明日香は実家だった。5人だけでケンタッキークリスマスやった。
前書きから10までの全文テキスト
11、中学生のころなんかは朝起きたら、ジュディマリのアルバム1枚、全十何曲、エンドレスで歌うの。YUKIちゃんのライブビデオ見ては、一緒に歌って踊るの。ひとりライブ状態!
11〜20全文
なんかだんだんテンションあがてきちゃうとね、なっちがYUKIちゃんなんだか、YUKIちゃんがなっちなんだかごっちゃになっちゃって、気がつくと、TVに向かって手ぇ振ってるの(笑)。もう、コンサート会場の観客席にいるのか、舞台に立ってるのかわかんないんだけど、スゴイ感動で泣いちゃうの。
12、お姉ちゃんは本当っっっに真面目!、羽目をはずさない(笑)。仕切りやがなっち。お父さんは釣りが大好き。なっちにとって、ホント家族っていうのはものすごくおおきな存在で。守られてる感じがする。
13、 去年?お母さんがうちに泊まりに来て、はじめて自分の人生を語った。辛い経験を乗り越えてて尊敬してる。
14、『太陽娘と海』3Lくらいのアパートを借りてスタッフみんなで泊まってた。娘。5人は、フトンしいたらそれぞれ畳1枚分くらいのスペースのみ!それが、1ヶ月間のわが家なの。
モー娘。ってね今もそうだけど、自分のものには名前書くの。じゃないと食べられちゃうの(笑)
15、明日香12歳なのに、『ロッキンオンジャパン』とか読んでた。なんかね。深いの。考え方が。“人生とは……生きるとはなんぞや?”
16、『ASAYAN』のスタッフにイタめし奢ってもらったりゲーセン行ったり、一緒にプリクラ撮ったり。スッゴイ頼ってたし、スッゴイ仲良しだった。
17、仕事が忙しくなってくると自分で殻に閉じこもっていった
18、『愛の種』キャンペーンときに、自分で勝手に決断して、「学校やめます!もう行きません」
いちおう、通信教育受けることになって週1で(日曜とかね)学校に行く日っていうのがあったが、登校拒否してた。
19、なっち、すっかり“貝になる”状態(笑)。
後藤と2人で渋谷のセンター街行った、マツキヨのあたりぶらぶら、コギャルに追っかけまわされた。
20、LOVEマのころよく矢口とごっつあんと3人でサウナに行った。
21、鈴木あみ、後藤との対決の頃は自分に自信無くて毎日の自分を保つのに、せいいっぱい。
21〜30全文
22、この頃雑誌とかで傷ついてた。なっちの殻はコンクリートの壁
(参考:女性セブン2000年6月15日号。「過食の原因は後藤真希」「わずか1年半で7〜8キロ太った」「ファンの悲鳴続々」)
23、ニューヨーク修業、モチベーションが固まってなかった。朝の5時くらい、こっそりホテルの部屋から抜け出した。
25、『ピンチランナー』はねぇ……もうねぇ……つらかったぁのひと言につきるねぇ。自分もピンチ(笑)だったし、
28、この頃あるマネージャーの言葉にいろいろ励まされた。サポートしてくれたひとに、何を返せるんだろって思ったとき、目の前に与えられた仕事をひとつひとつ精一杯やるってことなんじゃないのかなぁ?って思った
30、太ってた頃はストレス溜まりっぱなし。食事の時とか輪の中に入れず現場ではあまり食べれなかった。寝る前に食べて寝る、の繰り返しでデブ化。
34、2002年末、楽屋で急に泣き出した事がある。辻・矢口が慰める。
31〜40
37、2002年ミュージカルの頃、ストレスから帯状疱疹にかかる。危なかった。
39、年末から年明けにかけて体とか腰とかふしぶしボロボロで、眠れないし、常にふらふらする。お風呂場でね、貧血でぶっ倒れてがっつり顔面打った。
42、飯田と安倍は仲悪かったが、保田卒コンのリハで保田の仲介により仲直り。
41〜50
43、石川は昔のモー娘。の苦労をよく分かってて先輩をリスペクトしてる。
44、加護の弟妹が大阪のライブに来た。
49、『アメリ』映画館に3回も足を運んだ
51、犬のメロン。なっちが中三の終わりくらいに、うちにやってきた
52、『I WISH 』あの曲のときは、なっちいろいろあって、どん底ピーク
53、同じ業界の子で親友がいる。
51〜終わりまで